震災

新年あけましておめでとうございます!  

三宿店マツです🌲

レイブランカは本日(5日)から営業となります。 

本年もどうぞよろしくお願い致します! 

 

新年早々暗い話題になりますが、 

私の出身地である輪島が大地震に襲われました。

ここのブログでこの事を書くのはよそうかなとも思ったのですが、ありがたい事に長くお付き合いくださってるお客様も多く心配して下さってると思うのと、避けて違う話題をブログにする事もなんとなく出来ないなと思い書いています。 

避難中、無情にも時間だけはありスマホにメモをしました。  

被災地の状況として読みたい方だけ読んで頂けたらと思います。 

新年早々本当に大変な事になってしまいました。 

急死に一生って言葉を身をもって経験する事になるなんて思いもしませんでした。 

(ここからめっちゃ長いです) 

例年ならばお正月は帰省しない私は、家族に心配事があった事もあり31日夜から麦と2人で輪島に帰省していました。

元旦の14:00頃、私たちが帰ってるから会いたいと、こちらもいつもはお正月仕事で帰らない妹が早番を終えて金沢から輪島に帰って来ました。  

来てすぐに御神酒であけましておめでとうをして、母のおせちをつまんで、麦も初めての輪島のお雑煮を食べた頃、ガタガタと揺れが来ました。はじめの揺れはまぁまぁ揺れたねといった程度でまた食べはじめた時あの大きな揺れが来ました。 

訳の分からないレベルの揺れ。机の下に麦を入れて、え!嘘でしょ?!と思ってるうちにバチン!と電気が消えて、バキバキ家が潰れはじめ、妹の“あーおわった!”と叫ぶ声であ、おわったんだ…と。まだ揺れる中、外に出る!と叫ぶ妹と、まだだめや!と叫ぶ父。全く声が出ない私。 

外に出るにも出る場所が塞がれているなか、松寿しの店舗部分と住居部分の真ん中にある庭のブロック塀の一部だけが崩れていて妹がそこから出ようと誘導し、靴下だけはいて麦を抱えて外に出ました。 

本当にそこの一部だけ、妹の言い方だと“どうぞここから出て下さい”と言わんばかりに崩れてくれたおかげで外に出られました。 

外に出られたはいいが新橋(実家の地名)は建物崩壊の煙でかすみ、隣の長楽寺はぺっちゃんこ、全く見た事のない見たくもない新橋の姿でした。 

そして津波警報、津波来る!逃げて!早く! 

車は無理やよ!と近所中で叫びあう声、そのまま麦だっこで夕陽ヶ丘まで走る。途中母と妹が先に行けと叫ぶ、でも離れるのが怖い。新橋に戻ろうとする父、いいからこっち来て!と叫ぶ。 

結局父とは離れ離れに。夕陽ヶ丘には沢山の人、靴も上着もない、血を流している人、年老いた親をおぶって来た人、車椅子を押して登った人、何人かの同級生の顔見て泣きそうになるでも泣いてる場合じゃないと必死に我慢する。幸い津波は大きくなかったけど遠く離れた土地でもあの東北の震災が教訓にあったからこそみんなこの動きが出来たんだと感じた。 

気がついたら陽が沈み、真っ暗。 

ここから丘を降りて、父と会い、父が車を潰れる前に移動してくれてた釜屋谷へ向かったみたい。この辺りの記憶が何故か全然無い。

釜屋谷で車中泊、余震で揺れ続ける暗闇の中で空が真っ赤に染まり煙も見える。朝市の辺りが燃えてると知る。夜中じゅう何度もたしかめるがその赤が消える事は無かった。

朝を迎えた。片付けるとかいうレベルじゃなく何も出来ない。妹とまちを見て回った。レスキューの人が捜索しながら倒壊した家に声をかける、がんばれと叫ぶ声、カタチはギリ保たれていた実家も余震で潰れた。いろは橋を渡ってあまりにも変わり果てた朝市を見たときはじめて妹とふたり泣いた。   

本当に大変でまだまだこれから大変で、だけど自分たちよりもっともっと大変な人たちがいて…

こんな事書いてられないくらいの人ばっかりで。 

命を落とした人、その家族、まだ連絡の取れない、安否のわからない知人もいる、小さい赤ちゃん、高齢の両親を1人で助けている友人、ガソリンもない、言い出してもキリがないくらい。

出来ることって何かもわからない。 

でもこればっかりは知って欲しいと思った。  

東京に帰るのも薄情な気がしてつらい。 

でもそれまた贅沢なつらさ。 

文章が全くまとまりませんね、ごめんなさい。 

最後に心配をしてくれたみなさん、たくさんの励みをありがとう。 

 

 

という日記を書きました。 

暗い気持ちにさせますが、私はいたって元気ですのでご安心下さい😊

誘うのは違うのかもしれませんが、ご協力頂けるようでしたら今年のふるさと納税を被災した自治体にして頂けるとありがたいです!!!

 

では、また!

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